2020-08-13 個人滞在をしてきました

山田由梨です。
わたしはいま城崎国際アートセンターにいます。
25個くらい蚊にさされていて、本当にかゆいです。
2週間ほどの滞在を終えて、今日これから(気をつけて)帰ります。

この滞在は本当は、4月に予定していた劇団としての滞在制作だったのですが、
まさにコロナの第一波と言われている時期で、緊急事態宣言も出ていたため断念。
そのため、この8月前半の時期に振り替えをしていました。

しかし、7月の終わりにかなり感染者数が増えたように見える報道が連日なされ、雲行きが怪しくなった。
行くことに不安がないかなどを確認し合いながら、できる対策を考えて準備を進めていたけど、出発の前日の夜に、
「本当に行くか」という話が持ち上がり、一度出発を延期して次の日にまた話し合いました。

第二波は、明確に緊急事態宣言が出て一切外出をしなくなった第一波と違って、
コロナウイルスをどれくらい不安に思うかとか、外出することをどう思うかの倫理観とか、そういうものが“人それぞれ違う”という状況になっている。
政府がなかなか記者会見も開かない中、GOTOキャンペーンと自粛モードが同時に存在していたし、情報もさまざまで何を信じるかは人それぞれ違う。
その裏にはうっすらと、健康や“命”がかかっているという暗黙の了解もあり、そんな中“団体の意思”を決めることの難しさを感じたのでした。

劇団員の中でも、コロナ禍で受けた生活への影響もそれぞれ違うし、それぞれの家族の状況も、不安に思う気持ちもそれぞれ違う。
できる限りの助け合いと情報共有をしながらやりくりをしていたけど、
今まで当たり前に同じ方向を向くことができていたのは、結構奇跡的なことだったのかもしれないと思ったりしています。

ひとりでも強制されて行く人がいるのは違うと思うから、それぞれの意志を聞こうとするけど、
お互いへの配慮や、未来へのリスクとかを口にしては、うまくまとまらない。
しばらく、うんうん唸ったあと、決められないなら決めなくていいのではないか、と思うに至り、
団体の意志というものを諦めるのはどうかと提案しました。
5人全員で行くことを辞める。そのかわり、個人滞在にしようと。

いつ出発するのも自由、出発しないのも自由。個々に今やりたいことをやりにいく。
もし滞在先で“たまたま”メンバーに会ったら、何か一緒にやろうと持ちかけるのもいい。
ちょっとばかばかしい気もするけど、それを言った瞬間、急に、それなら出来る、決められるという気持ちになりました。

そうなってからは話が早くて、明るく「それではさようなら、“たまたま”会う日まで」という感じで電話を切り、
誰がいつ行くかも知らないまま、わたしは準備をして出発しました。
来たメンバーも来ないメンバーもいて、それでよかった。

いろんな劇団や劇場が逼迫した判断を迫られている中、わたしたちがこういう悠長な意思決定をできたのは、
これがだいぶ先に控えている作品の土台づくりをしにいくという目的の滞在制作だったからで、
しかも、今年と来年は、劇団として国内で公演をする予定はなく、あとは個人個人の活動や海外公演の活動に充てる時間にしていたからでした。
もちろん、城崎国際アートセンターの皆さんが劇団の意向に寄り添い、
柔軟に対応してくださらなければこのような滞在の形には変更できなかったので感謝しかありません。

というわけで、今回は個人滞在、あるいは“ゆるやかな繋がりを持った団体滞在”というような形になりました。
滞在中、その“ゆるやかな繋がり”を持つ術として、全員が毎日通る場所に、「掲示板」と「タイムライン」を設置して過ごしていました。

「掲示板」の様子

「掲示板」には今日やる予定のことをそれぞれ報告したり、何かを一緒にやりませんかというお誘いをしたりする。
「タイムライン」は、長い紙を床に置きそこに考えているシェアしたいことや“ひとり言”を好きに書いていったり、
おすすめしたい本を置いていったりできるようにしました。
それに、誰かが引用RTのように、コメントをつけたり、リプライをしたりする。SNSのタイムラインのアナログ版のように機能して、
それぞれが今感じていることをうまくシェアできたように思います。

2週間の滞在を終えた今、
団体としての意思をひとつにまとめ同じ方向を向くということを諦めて、ゆるやかな個人の連帯になる、という今回の滞在のようなスタンスは、
今後のコロナ禍を経験したわたしたちの、活動スタイルのベースになっていくのかもしれないと、予感しています。

最近は、コロナ禍に突入する前の世界を前提に決めたスケジュールに沿って、
コロナ禍を経験した・渦中にいるわたしたちが生きていることに、ズレを感じている日々でした。
昔建てたレールの上を、全然違う車体で、ガタガタ音を立てて通っているような…
できれば、コロナ禍バージョンの、もっと無理のないレールを敷き直したいものですよね。

とはいえ、贅沢貧乏としては秋から冬にかけて海外公演のプロジェクトを2つ抱えていて、
それらについての準備や判断を、慎重に進めているところでもあります。
「どうなるかわからないけど」という前提つきで、あらゆるリスクを想定しながら進めることは、
いつの間にか、ものすごく心がすり減り、しかも進んでない、みたいになりがちです。
あらゆる職場でそのようなことが、世界中で、起きているのだと思います。

だから、できる限り、
「無理しない」とか、「つらくなったら逃げられるようにする」とか「死にたくならないようにする」とか、
そういうことを目下最優先にして、優しくし合いながら乗り切っていきたいと思っています。

わたしは、人の弱さとか、気持ちのわりきれなさ、とかそういうものを作品の中で肯定してきたつもりです。
今は、今までできていた生活や活動ができなくなり、誰もが、弱ったり、悲しくなったり、することの多い日々だから、
作品を作ることの前に(あるいは同じくらい大切に)、目の前にいる劇団メンバーや、自分、周りの人の、
弱さとか悲しさを肯定しながら、寄り添い、どうすれば無理をせずに生きていけるかを考えていきながら活動していきます。
前向きに、何かを進めていくことも大切だけど、呆然と立ち止まっている時間も積極的に大切にしたいから。

最後に、呆然と立ち止まっているわたしたちを見守ってくださった城崎国際アートセンターの皆様ありがとうございました。

山田由梨
2020.08.13