2015-05-22 北砂日記〜家プロジェクトを終えて〜

こんにちは。
遅くなりましたが、家プロジェクトにまつわるブログを書こうかと思います。
家で演劇作品を上演する・観劇することについての所感や、演劇的な意義については、家プロジェクトのサイトの方に公式な文章を載せようと思っているので
ここではわたしが家を借りていた江東区北砂の街についてや、生活について書こうと思います。
このブログや、贅沢貧乏のサイトを初めて見る方に簡単に説明をしておくと、
わたしは2014年の5月から江東区北砂にある木造二階建ての一軒家を借りて、そこで演劇作品をつくってきました。
なんだか難しいものに思われる方がいるかもしれないのですが、そうではなくて
一軒家をまるごと舞台として、ある物語を上演し、お客さんもその家の中にはいり、役者と同じ空間で移動しながら家中の物語を追っていくというような観劇スタイルです。
これについては、また詳しく書きます。
ともかく、わたしたちは1年間滞在しながら3作品を制作し、延べ1000人ちかくの方がその一軒家に公演を観に来てくれました。
2014年7・8月   「タイセキ」(全34ステージ)
2014年10・11月 「東京の下」(全11ステージ)
2015年4・5月   「ヘイセイ・アパートメント」(全32ステージ)
この1年間について、何から話していいか分からないので、
まずは、家を引き払う2015年5月18日までの最後の数日間についての日記を書いてみようかと思います。(基本的にご近所さんの名前はふせます)

5月14日(木)
この日は、制作の水野や音楽メンバーの阿部と大片付けをする予定で家に集まった。
12日に「ヘイセイ・アパートメント」の千秋楽を終えて昨日は朝まで打ち上げをしていた。
1年間の「堆積」が山積みになっていて、片付けをするにも気が遠くなりそうだった。
窓を開けながら掃除をしていると、隣の家の車が帰って来る音がした。
隣のおじちゃんはいつも夕方同じくらいの時間に帰って来る。
あ、「おじちゃんが仕事から帰って来たのか!というかもうこんな時間!」と思って、窓の外に「おかえりなさい、お疲れさまです」と声をかけると
いつも通りおじちゃんが「こんにちは、ありがとう」と言ってくれる。
「もうすぐ家引き払うから片付けをしているんだよ」というと、
「本当に寂しくなるよ」と言う。
それから今週飲みに行こうよ、と誘ってもらったので是非!と言って2日後におじちゃんの行きつけの飲み屋に連れて行ってもらうことに。
それから、しばらく片付けを続けていると、外で電話をしているおじちゃんの声がした。
「土曜日に4、5人でいくよ、俺の娘みたいにかわいがっている子とその友達と連れて行くから」と聞こえる。
1年前のわたしは、こんなに受け入れてもらえるなんて考えてもみなかったな。

5月16日(土)
色々な打ち合わせなどを終えて、北砂の家に帰って来て、Tシャツとジーンズに着替えてお隣のインターホンを押す。
飲みに行く予定だったので、水野と阿部も一緒。
おじちゃんがドアを開ける。後ろに奥さんもいる。
おじちゃんは、前に写真で見せてくれたことのあるお気に入りの黒いシャツを着ている。
ちょっとあがって家の犬をだっこしてみなよ、と言ってくれたので、
3人であがらせてもらって3匹のチワワをそれぞれ抱いてみる。
外から見えたり、鳴き声がよく聞こえたりしていたけど、家に入るのも抱っこするのも初めてだねえ。と話す。
それから、家をでて亀戸のほうにある行きつけだという飲み屋さんに向かう。
着いてみると、赤い看板のカラオケスナック。
ぎゃースナック初めて!!と思いながらわくわくして中にはいる。
何人かおじちゃんがいるけど、わたしたちみたいな若モンはいなくて、そわそわする。
最初は緊張していたけど、しばらくするとカラオケでかなり盛り上がり、夜が更けるにつれて、次々におじちゃんたちがお店に入って来る!
誰が歌っても、違うテーブルの人でも関係なく、聞くし盛り上げるし、一緒に踊るし、ですごかった。
ママさんがそっとわたしと水野にアイスをくれる。
その日は、大繁盛で、来ても入れないお客さんがいたりで少し延長して営業していた。
ママさんの人柄が素敵で、編み目の大きな黒い編みタイツにタイトなミニスカートと高いヒール。
サバサバでチャキチャキで知らない間に必ずグラスがお酒で満たされている。(のんでものんでも麦焼酎の水割りがつがれるw)
ピアノが上手で、愛しのエリーとか、有名な曲を入れるとカラオケのオケに合わせて生でピアノを弾いてくれたりしてそれがまたすごい良い。
深夜の1:30くらいにチイママさんに見送られて店をでた。
スナックでも話題になっていた、わたしが1年間かなり通った近所のラーメン屋にいくことにする。
おじちゃんと、水野と阿部と歩いてラーメン屋にはいると、若い男の人二人と、酔って寝ているおじさんの3人のお客さん。
ここはなんでも美味いのだけど、あっさりと500円の醤油ラーメンを頼む。
いつもの味、ほっとする味。
いつの間にか、阿部がスナックで隣に座っていたコバさんというおじさんとLINEのIDを交換していて連絡を取り合っている。
ここにいるよと行ったら、ママと一緒に来るらしい。
ここのラーメン屋のマスターも休みの日にはよく、そのスナックに行っているらしくてみんな顔見知り。
ママとコバさんが来て、チンジャオ丼を頼んでいる。一口食べさせてくれたらこれもものすごく美味しくて、もっとこれ食べておけばよかったなあと後悔した。
寝ていたおじさんが、ふっと起きて顔をあげると、わたしが前にこのラーメン屋で飲んでいた時に、話をしていた先生と呼ばれるおじさんだった。
「あ、先生!」といったら、先生は「寝ちゃってた!」と言って驚いた顔をしていた。その様子がちょっと可笑しくて笑ってしまった。

5月17日(日)
この日は北砂のお家のお別れパーティー。(バラシのお手伝いと持ち寄りパーティー)
たくさん入れるほど大きな家ではないので、
1年間に家で上演した3作品を観ていることを条件にさせてもらったところ15人くらいの方が参加してくれることになっていた。
朝起きてからすぐに片付けと料理を始める。
持ち寄りパーティーということにさせてもらっていたので、わたしからは、ガパオライスと、トマトとアボカドのサラダを作った。
11時には、東京の下に出演した大竹このみや吉川賦志、を含めたメンバーが何人か来た。
13時前になると、お客さんたちがちらほらとやって来て、手土産を持って家のインターホンをならしてくれる。
「ヘイセイ・アパートメント」の美術が概ねそのままになっていたので、バラシをお願いする。
みなさんすごく楽しんでチャキチャキとやってくれて、予想以上に早く終わる。(本当に助かりました……)
美術で飾っていた書き初めや、ポスター、好きな物を持って帰ってもらうことに。
持ち寄った料理を食べながらこの1年での観劇体験について話を聞かせてもらったりした。
なんだか不思議なくらいアットホームで(@ホームだから当たり前か)なごやかで、楽しい時間だった。
1階の雨戸は珍しく全部開けて、窓も全て開けて、風通しが良い。
この日は晴れていたので、この家の一番気持ちいい空気を皆さんに知ってもらえて嬉しかった。
インターホンがなったと思ったら、近所のお客さんが、家の形をしたケーキを作ってもってきてくれる。美味しい嬉しい。
お世話になった深川通信の方もクッキーを持って来てくれた。
お客さんが持って来てくれたスイカを切って食べてみることに。
切っている間、外にでてみると、はす向かいの小学校1年生の少年が家の前の道で遊んでる。
スイカ食べるか?と聞くと、いいよ(食べてもいいよ)と、生意気に言いながらウチの玄関へ走って行く。
いいよって何だよ!と思いながら、少年をみんなに紹介する。
いつの間にかスイカの種を庭に飛ばすゲームが始まっていた。
思えば公演の直前や、マチソワの間の時間に突如、この少年が家に勝手に入って来て、走り回って遊んで帰っていったりしていたことがあった。
公演中だったらと思って冷や汗もんだったわけだけど、鍵が空いてれば入って来ちゃう少年がうらやましかったし可愛かった。
一緒にそうめんを食べたり、アニメを居間で観たりしていた去年の夏のことがとても懐かしいけど、
あの時彼はまだ保育園に通っていて、そう思うと、たった1年でもあっと言う間に大きくなるもんだなとおばさんみたいなことを考える。

二階でふたりで話し込んでいるお客さんがいて、こんなふうにお客さん同士が仲良くなっているのも面白いなと思いながら、
わたしも一緒になって、ガランとなんにもなくなった二階の部屋を見て回っていたら唐突に寂しさがこみ上げた。はあ。
こうやって、みんなで家とお別れができて良かったなあと、そこで強く思った。ひとりじゃ耐えられなかった。
二階の板の間の窓を珍しく開け放って、外に目を向けたらなにやら小動物が道を横断している。
ん?!と思って目をこらすと茶色い大きなドブネズミがノコノコと歩いているではないか。
なんたることだろうと思って、その場にいたふたりのお客さんに、「あれ、ネズミですよね」と確認すると、「ネズミですね」とのこと
真下で車の手入れをしていたお隣のおじさんが「どうしたの?」とこちらに声をかけてきたので、「ネズミが」と言うと、「ネズミくらいいるよ」と言われる。
後ろでお客さんのひとりが「店長は逃げたんだなあ」と言っていた。こんなことってあるんだな。(ヘイセイ観てない方ごめんなさい)

楽しい時間はあっという間で、もうお開きの時間を過ぎていた。
18時に、わたしの荷物を搬出するために車が来ると言ったら、みんなが荷出しと積み込みと手伝ってくれるという。
車が来て、荷物を運んでいく。冷蔵庫とか洗濯機とか運ぶの大変だったから、手伝ってもらって助かった。
全てが片付いていくにつれて、なんだかどんどん気が重くなっていって、疲れたような気持ちになってきてしまったので、
座り込んで、家から運び出した冷蔵庫の冷凍室から追い出されたアイスを食べてみる。
途中でアイスを食べるのにも疲れてきて、いやになって、でも全部運び込みも終わったようだし、このアイス食べ終わったら出発します、と言う。
食べ終わって、手荷物を持ってでる。
お客さんもお隣のおじちゃんも、近所のおばあちゃんも出て来る。
どうやら見送られるみたいだ、わたし。
稽古でも、公演でも、キャストやスタッフやお客さんを見送って来た私は、こんなふうに見送られることがなかったことに気付いた。
なんだか本当に疲れて、いやだなあという気持ちになってきて、車に乗ろうとしたら急に涙がでてきた。

ああ、なんだ寂しいという感情はこれのことを言うのか、と冷静に考えてる自分にウケた。めっちゃ泣いてるのに。
1年間、苦楽を共にしたこの街と家を出ることがあまりにも寂しくて寂しくて、ちょっと本当に涙が止まらなかったのでした。
この家で過ごした時間や、作品や、生活や、思い出を、こうやって共有している人たちがいるということがわたしにとっては救いだなと、その時思った。
演劇作品の上演もそうだけど、同じ場所にいて、そのときの景色を一緒にみて、こうだったね、と後から話せる人がいるということが、
形の無いものをつくる時も、形の無い時間がどんどん流れていってしまうことが悲しくなる時も、やっぱり救いだと思う。
写真も映像の記録もいいけれどデタラメだし、でも、人の断片的な記憶を持ち寄って繋ぎ合わせる方がやっぱり良い。
記憶のほうがもっとデタラメなのかもしれないけど。それのほうがいい。
わたしはこの家とのお別れする時のこの時間を一緒に思い出す人たちがいて幸せだ。

5月18日(月)
午前中、近所の方に差し上げるお餞別を買いに行こうと新宿の小田急百貨店に行く。
色々とさんざん悩んだのだけど、「たねや」という抜群に包装のセンスがいい和菓子屋さんでおばあちゃん家や少年のいる家にお菓子を買うことにする。
それから、お隣のおじちゃんと、行きつけのラーメン屋のマスターには、お酒を差し上げることに。
北砂の家に着くと、買ったお菓子を持ってそれぞれのお家に挨拶に回る。6軒くらい。
よくおしゃべりをしていた細い路地のおばあちゃんの家に行って買ったあんみつを渡したら、大事そうに持ってこんな高級品食べた事ないと笑ってた。
ちょっと待って、と言われたから待ってると、ルマンドとかカントリーマームとか2リットルのお茶とかが出て来て、あげると言われてしまう。
なんだか持って来たんだか、もらいに来たんだか分からなくなっちゃうよ、と言いながら、ありがたくもらう。
このおばあちゃんは、北砂の街を作品に落とし込んだ「東京の下」という作品の時に、インタビューさせてもらったり、たくさんお話を聞かせてもらったおばあちゃん。
90歳を過ぎているのに、お肌がきれいで、笑顔がかわいくて、毎日お花の手入れを欠かさない。
写真を一緒に撮るときに、小顔に見えたいからという理由でわたしの後ろに入る、その様子がなんだか可愛くて、女だなと思った。
阿部と制作の狩野と一緒に昼の14時頃お酒を持ってラーメン屋にはいると、常連でわたしとも顔見知りのミヨちゃんというおばちゃんと、その飲み友のおじちゃんがいた。
それから若いマッチョな男の人と、常連だけど名前を知らないおじいちゃんがいた。
マスターに小田急で試飲して美味しかった日本酒を渡すと、みんなで少しづつ飲むことに。
ミヨちゃんに、今日でわたしこの街出るんだよ、と伝えた。
ミヨちゃんはわたしより年上のお子さんがいるおばちゃんなんだけど、下ネタがすごい。
一緒に写真を撮って、それからお店の外でマスターと写真を撮った。寡黙で格好いいマスター。
お店の名前は華福です。明治通の北砂アリオの側。なに食べても美味しいから行ってみてね。
そのあと、おうち周りとか色々車で荷物の運んだりして、家に帰って来たのが夕方18時半。
車で帰って来ると、不動産屋さんが鍵を受け取るために待っていた。
ああいよいよ終わりだなあ、と思う。夕暮れ時、なんとも言えない気持ちになる。
最後のチェックで家の中にはいって、窓の戸締まりとか、ゴミを出したりとかしてると、表でお隣のおじちゃんが不動産やさんと喋っている声が聞こえて来る。
ん?なんか隣のおじちゃん怒ってる。
あとで聞いてみると、不動産屋さんが「何か(山田が住んでいたことによって)ご迷惑等はなかったですか?」とおじちゃんに聞いたところ
「そんな迷惑をかけるような人じゃない!なんて失礼なことを言うんだ!いつも挨拶をしてくれてたんだ、そんな迷惑だなんだというのは、コミュニケーションが取れていないからそういう話がでるんだ!」
と大変ご立腹だったよう。
不動産屋さんは「そういうつもりで聞いたのではなくて、不動産屋として、何か困ったことはなかったか聞くようにしていてそれで聞いただけだったんですけど、怒られてしまいました」とたじたじしていた。
わたし1年間この家で演劇をしていて、かなりうるさい日もあったと思うし、公演期間は毎日15人くらいの人々ぞろぞろ家にはいっていくし、
かなり迷惑をかけたつもりなのですが、こんな風に言ってもらえるなんてわたしはとっても不思議な気持ちになったのでした。
それから、狩野と阿部と、おじちゃんでアリオの中の回転寿司屋さんにはいって、最後の晩餐を終えました。
おじちゃんは、わたしが来月でる映画のチケットを買ってくれて、観に行くよといってくれた。

こうしてわたしの北砂での生活は幕を閉じたのでした。
私はこの1年間で、このような時間を過ごして来ました。
全ては、この4日間の様子に集約されている気がする。

純粋に作品を作るだけとも違う、生活するだけとも違う、なんとも言いがたい時間を過ごして来たのではないかなと思ってます。
この家で演劇(=ドラマ)を作ってきたけど、わたしたちがこの街に1年間いたことによってドラマが生まれていたような気もしました。

下町の北砂では、家と家の距離がちかくて、人と人の距離も近くて、下町育ちでないわたしにはドラマチックな街に思えて、
わたしはそれを外から見ている人間のような気がしていたけど、いつの間にか中に入ってしまっていたんだなあ。
いったいこの1年はなんだったのだろう
あるお客さんが「この家に来るときが一番ワクワクするんです」と言ってくれてすごく嬉しかった。
「この家にいると落ち着く」という人もいれば、2度目に観劇に来たときは「帰って来た気がする」という人もいました。

この1年、わたしにとって演劇について客観的に考えるいい機会になったし、作品を作ったことはもちろんものすごい糧になったけれど
「場所を創出した」ということが、もしかしたらとても大きいことのような気がします。
ほとんどの人が住んでいない限り来ることの無かった、江東区北砂の住宅地に、
人が集って、体験を共有して、そこにドラマが生まれていたということは、
なんて言えばいいか分からないけど、尊いことのように思えます。
ちょっとうまくまとめられる気がしないんだけど、とにかく奇跡みたいな毎日でした。
一緒に体験してくれたスタッフ・キャスト・お客さん本当にありがとうございました。
急にぽんとやってきたわたしたちに仲良く接してくれたご近所さんもありがとうございました。
なにもかもが、奇跡的で、まぶしいくらいの毎日でした。
ありがとうございました。

贅沢貧乏主宰 山田由梨