2014-12-09 「東京の下」を終えて

東京表2
12月7日をもちまして、贅沢貧乏 家プロジェクトその2「東京の下」が追加公演を含めて全て終了しました。
終わってから、家の片付けをして、それからスタッフとキャストで銭湯にいきました。
家から30秒くらいの銭湯にはたまに行っていたんだけど、
ちょっと離れたところにある行った事のない銭湯に行きました。
家から歩いていける距離のところには、わたしが把握してるだけでも、3つ銭湯がある。
一昨日行った銭湯は、久の湯というところで、入ってみたらこの風景知ってるって思って。
本当に。「わたしここに来た事あったっけ?」って思って。こころの中で。
中にはいって、お湯につかっても、まだそれはあって。やっぱり、なんか本当に懐かしい。
ああーそっか。小学校のころにお父さんに連れて来てもらってた銭湯に良く似てるんだ。
ちいさいとき、お姉ちゃんとお父さんと3人で、自転車で近くの銭湯にいっていた時があった。
たまーにお母さんも一緒に行った。
10年以上前にその銭湯はなくなっちゃったんだけど。(なんか東京の下の台本みたくなってきたなw)
えーなくなっちゃったんだーってその時は思って。だからうちの近くには銭湯がなくなって。
駅の近くにいけば、ひとつあるんだけど。そこは行った事ない。今もあると思うたぶん。
こんなこと、思い返したことも最近なかった。あと、わたしにも懐かしい思い出があってちょっと嬉しい。
話はそれたけど。
それで、キャストのこのみちゃんと、制作の水野と、お湯につかってて
おばあちゃんが何人かいて、目が合う。
なにか新入りのわたしたちが困ってたり、何かを探していたりすると、声をかけて教えてくれる。
お母さんが、ちいさい娘さんふたりを連れてきていた。姉妹は、黄色い桶を床に滑らせて遊んでる。
姉妹が楽しそうに遊んでると、お母さんにお風呂つかりなさいって言われて、10までおおきな声で数える。
サウナには、昭和の歌謡曲とか、わたしが小学校の頃はやったような懐メロが流れてる。アユとか。
お風呂からあがると、太ったおばちゃんが、エアコンの風がふいているところに仁王立ちして、タオルをバシっと持って、流れる歌謡曲に合わせて歌ってる。
ドライヤーは20円
ロビーにでると、キャストの吉川さんや贅沢貧乏の男の子たちが待っててアイス食べてた。
男の子たちも、おじいちゃんたちといろいろ話したみたいで、サウナでヤクザみたいなおじちゃんと話したともいってた。その人の娘さんがいい女だっていう話をされたらしいw
これが、わたしが打ち上げの前の銭湯で見た光景で。
なんていうか、わたしがあそこに家を借りてから、北砂の街で時間を過ごして来て、
こういうことが毎日あって。こういう光景が。
銭湯にいかなくても。たとえば、商店街でも、家の前の道でも。
家の中で聞こえて来る外の音も。
22年しかいきていない私でも、それを懐かしいとおもったりして。
少し慣れてきたけど。わたしは上に書いた銭湯のような光景、出来事ひとつひとつに感動していて。
普通に当たり前のようにそこで生活している人からしたらばかみたいに思われるかもしれないんだけど。
わたしは、感動しちゃってて。
これを作品にしないと、いずれにしてもこの家プロジェクトを終わらせられないなあと思って、
わたしは「東京の下」という作品を作りました。
ということを、銭湯に入りながら改めて思い返しました。
「なんてドラマチックな街なんだ」
と、思ってこの作品を作ろうと思ったのでした。
「東京の下」は、このように見て来た砂町の光景や、聞こえた会話を書き起こしたり、
近所のおじちゃん、おばちゃんに聞いた話を構成しながら作った作品です。
彼らの日常の繰り返しと、それを振り返ったときに見える景色を、台本にしていました。
わたしは自分のセリフをしゃべりながら、長く生きて営んでいくことは美しいと思いました。
あと、やっぱりわたしは、なにひとつまだ知らなくて。
じぶんたちのこれからの長い人生を想いました。
今回は、わたしのクレジットは、脚本ではなく「テキスト構成」としています。
わたしの中にはない語彙が、たくさんでてきて、それはこの街の人たちの言葉で。
わたしはそれを借りながら、新鮮な気持ちで、その懐かしい言葉たちを書いて、話しました。
観に来てくださったたくさんのお客様、何度も足を運んでくださったお客様、ありがとうございました。
すばらしい体験でした。
写真は、メモの切り貼りで作られた台本と、小名木川。
(山田)
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